創業期ものがたり

The Founding Story

第10話

次の家出

「日本の国土復興に役立つような建設の仕事をして、ひとはた揚げたい」
・・・そんな新しい思い得て、シゲオは家に戻り、再起を誓いました。

家業では、7〜8人の従業員も加わり、瓦の製造が本格的に再開していましたが、シゲオは、”本心ココにあらず”ですので、製造現場にいても、自分で作業をすることはめったになく、人に、こうすればいいとやらせたり、ふっといなくなって、自分の興味のある事を始めたりする始末です。

ある時、炭を買いに来た同じ村の人が、”仕事で聞いた話”として、シゲオに、福井県の状況を教えてくれました。
その要旨は、
敗戦直後の(昭和20年)9月の閣議決定で、福井市や敦賀市に4700戸の復興住宅が割当てられる予定。
その頃は、復興住宅と言ってもバラックのイメージでしたが、福井県は積雪地域で、バラックでは冬を越す事は過酷なので、一定の耐寒性・耐久性のある屋根・外壁を持つ住宅が必要。
敗戦後2カ月くらいという状況で、福井の方々は復興意欲旺盛で、積雪までにと凄い勢いで住宅建設をはじめ、復興に動いている。
・・・という内容でした。

シゲオには、福井に自分の人生のダイアモンドがザクザクところがっているような気がして、すぐに次なる家出の決行です。

東京への家出から戻って約1カ月後の11月、目指すは福井!
「建設屋に就職して、橋やトンネル、ごっついビルを建てるようになるんや!」
・・・そんな気持ちで、またも身軽に家出と相成りました。
もちろん誰にも告げず、今度の所持金は 約3,000円、汽車賃や当面の生活費には、困らない大金です。

瓦の製造の副産物としてできる炭は、戦時中も終戦直後も常に小売りしていましたので、実は家には、けっこうお金を置いありました。
シゲオは、持ち出そうと思えばいつでも持ち出せる状況でした。
3,000円と言えば、当時の平均的な月給額よりも高かったはずですが、それだけ持ち出しても、家族の生活や、商売の支払いには十分な現金が残っているのを確認して、拝借することにしたのです。

またも飛び乗った播但線。
今度は、姫路駅から大阪、米原へと人混みに押しつぶされながら汽車を乗り継ぎ、北陸本線へ。
敦賀は通り越し、目指す福井駅までは1,120kmでした。